皆さん、こんにちは。しもべです。

 今回はMTGとは関係ない日記です。
興味の無い方はスルー推奨です。

 少し遅いですが、今回のニュースにも感じるものがあったためエントリーを書くことにしました。


点線内転載
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[下関通り魔事件・上部死刑囚ら3人に刑執行]

法務省は29日、山口県下関市の通り魔殺人事件で死刑が確定した上部(うわべ)康明死刑囚(48)ら3人の刑を同日午前、東京、広島、福岡の各拘置所で執行したと発表した。

 死刑執行は2010年7月28日に2人が執行されて以来1年8か月ぶりで・・・

・・・。(執行に)反対はあっても職責を果たすべきだと考えた」と執行に踏み切った理由を述べた。・・・

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120329-00000460-yom-soci


[ワッと泣いた・気持ちの糸切れた…刑執行で遺族]

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120329-00000709-yom-soci

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 難しいニュースです。
正直記憶力が鶏さんである私はこれらの事件を完全に忘れていました。
この記事を読んでも、ハッキリと思い出せるのは横浜市の事件だけです。

 が、やはり痛ましい事件であることは記憶に刻まれています。
これで少しでも残された方々の心が癒されることを祈るばかりです。
・・・正直こんなことをしても癒えるはずのない傷でしょうが・・・。


 個人的には小川法相の
「刑罰権は国民にあり、その国民の声を反映する目的で導入された裁判員裁判でも死刑が支持されている。(執行に)反対はあっても職責を果たすべきだと考えた」
という考えを支持したいと思います。

法とは「感情を差し挟むべきものではない」のでしょうが、それでも法の上に私達の社会が存在する以上、我々を守ってくれるのは最終的には「法」であるべきだと思っていますので。
「法」を信じて、「法」に依存できる社会であるべきだと思います。


 因みに今回の死刑執行に際し「日本アムネスティ」より以下の声明が発表されました。

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日本支部声明 : 死刑執行に対する抗議声明/背景情報

http://www.amnesty.or.jp/modules/news/article.php?storyid=1069

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 この声明もなかなか考えさせられるものがあります。
一読の価値があると考えています。


 ただこの文面を読んでも、私は「死刑」はあるべきであると思います。
「袴田事件」や「葡萄酒農薬混入事件」など、冤罪やグレーな状況の事件は兎も角、明確な犯行・犯罪には相応の罪があるはず。

人権尊重も結構ですが、その結果尊重された人権で、彼らは年月をかけて服役する「だけ」で良いなんておかしいと思います。
光市母子殺害事件で犯人が知人に出した手紙にも書かれていましたが「数年くさい飯を食ってたらそのうち外に出られる」なんて間違っているでしょう?

永久に無期懲役の可能性もなくは無いですが、それでも彼らは服役する「だけ」で良いのです。
自由は無いかもしれませんが、その間の職の心配をする必要もなく、食うに困りません。正に「安定した生活」の形成です。
人が何人も死ぬような事件に対してのこれが「相応」に当てはまるとはどうしても私は思えません。
失われたものは戻らないからこそ「死刑」では軽すぎるとさえ思います。
(何処の話か忘れましたが、死刑の無い国で住民を虐殺したある兵士が懲役3000年を課されたそうです。
これが死刑以外の「相応」なのでしょうか?)
何よりも殺された方の「一方的に唾棄された」人権より、犯罪者の人権を尊重しなければいけない理由が私には理解できません。


 
 死刑の存在理由として「見せしめ」がある事は周知の事実ですが、文面ではこの様にも述べられています。
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最新の調査では「死刑が終身刑よりも大きな抑止力を持つことを科学的に裏付ける研究はない。そのような裏付けが近々得られる可能性はない。抑止力仮説を積極的に支持する証拠は見つかっていない」との結論が出されている。また、いわゆる「みせしめ」としての死刑は、人間の生きる権利を、その他の政治的社会的な目的のための手段とする発想であり、国際人権基準に照らして許されるものではない。

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 確かに最近は「死刑」の「見せしめ」にはよく疑問符が付きます。
それはそうでしょうね。
世間の大半の方に知られる事無く、いつの間にか、どこか知らない場所で執行されているのですから、最近の「想像力が欠如した現代人」には尚更効果が薄いでしょう。

 なら正直もっと判り易い「見せしめ」にすればいいんです。
「公開拷問刑」とかですね。
物凄く野蛮で卑下される考えなのはわかりますが、これぐらい「解り易く」しなければ「抑止力」には残念ながらならないのが今の社会なのでしょう?
判らないのなら、解る様に「見せる」のが一番ですね。
最低の考えでしょうが・・・それでも犯罪被害者が出るより遥かにマシだなんて考えている私は間違っているでしょうか?
何度も書きますが、優先されるべきは犯罪被害者、または将来の犯罪被害者の人権ではないのでしょうか?
犯罪者の人権の保護はその後でも十分ではないでしょうか?彼らは自らその人権を侵害しているのですから・・・。



 また、最後の段落には
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被害者とその遺族の人権の保障は、死刑により加害者の命を奪うことによってではなく、国家が経済的、心理的な支援を通じ、苦しみを緩和するためのシステムを構築すること等によって、成し遂げられるべきである。

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 という文面があります。
が、その具体的な心理的支援の方法を示していただきたいですよね、と思います。
精神科にかかって傷を治せ、とでもいうのでしょうか?
お金を貰って満足しろとでもいうのでしょうか?
感情に対して、理論で語りかけるなんて、一見、識者のそれであり賢明な行動であるのかもしれませんが・・・それはやはり彼らの「感情」に「想い」を向けていない。
私にはそう思えて仕方がありません。



 そういえば、去年の法相(誰か憶えていません)は「今年度は死刑の執行が零だった。素晴らしい年だ」と言っていました。
恐ろしく的外れな感想ではないでしょうか?
執行自体が無いのは確かに喜ばしいことかもしれませんが、死刑執行に値する様な「凶悪」犯罪が減ったわけではないのですから・・・。




 やはりこの手の事件を取り扱うとどうしても汚い言葉や汚れた考えが出てきてしまいます。
今回読まれた方の中には気分を害した方もいる方もいるかもしれません。
もしおられましたら、謝罪させていただきます。
申し訳ありませんでした。




 さて、気になった記事をもう一つ上げておきます。

点線内転載
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[横浜・ひき逃げ高校生死亡:意識障害理由に無罪--地裁判決]

 横浜市で09年、自転車の高校生を軽乗用車ではねて逃げたとして、道交法違反(ひき逃げ)の罪に問われた会社員の男性被告(46)に対し、横浜地裁(久我泰博裁判長)は21日、「糖尿病による低血糖症で意識障害となり、責任能力はなかった」と無罪(求刑・懲役1年)を言い渡した。・・・

 http://mainichi.jp/select/jiken/news/20120323ddm012040147000c.html?inb=yt


[<ひき逃げ>無罪判決、横浜地検控訴せず]

横浜市で09年、自転車の高校生を軽乗用車ではねて逃げたとして、道交法違反(ひき逃げ)に問われた男性会社員(46)に無罪を言い渡した横浜地裁判決(21日)について、横浜地検は30日、控訴しない方針を明らかにした。男性は・・・

 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120330-00000124-mai-soci

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先日[loving-c]さんの記事にて存在を知った事件の判決。その続報です。

 時折発生する意識障害により、高校生を引き殺してしまった被告ですが、その意識障害の存在故に「責任能力」が「無い」とされ「無罪」判決を言い渡されていました。
そしてその件で、「責任能力の証明」が困難なことを理由に、検察は控訴を断念したそうです。

 個人的には、責任能力が有ろうが無かろうが、やった「事実」には何ら変化が無いにも拘らず、無罪という判決は信じられないです。
責任能力が無いのなら「どんな事」をしても許されるというのでしょうか?
例えば、市街地の中心でマシンガンを連射して何人・何十人と殺しても、「憶えていない」と法廷で「認め」られれば「無罪」になってしまうのでしょうか?

 その上、子供ならいざ知らず、この方はれっきとした成人であり、自らが意識障害を抱えていることも知っていたはずなのですが・・・。
「通行人が偶々歩いていて地雷を踏んでしまって何十人も死傷者を出した」なんて言う物とは「責任能力」の質自体も全く違うと、私には思えるのですが・・・。

 なにより、この言い訳が通るのなら、それを武器として裁判で減刑を望めてしまえるわけですよね?
納得がいかないです・・・。


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