皆さん、こんばんは。しもべです。

 今回は久々に非MTGです。
最近はあまり気になるネタが勝ったため放置気味でした。
が、
今朝の朝日新聞朝刊の社説が鮮烈な印象を私に残したため、ぜひ取り上げたいと思います。
非MTGであるため、興味の無い方はスルーしてください。


なお、今回も有料購読ページであるため、概略のみで表現をしていきます。
興味を抱いた方は是非、ご自身で手に取ってみてください。


点線内転載
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「日本よ 沖縄人は豚なのか」「1・3面」

 「やっぱり私たちは『豚』なんだ」。劇団比嘉座の座長・比嘉陽花(ひが・はるか)さん(29)は今、大阪で暮らす。「海きれい?」と興味深そうに近づいてくる本土出身者(ナイチャー)たち。私の沖縄は悲しい島。灰色だ。本当の私たちを見ていない・・・

http://www.asahi.com/national/intro/TKY201205090693.html

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 さて、まず、思わず目を疑ってしまうような見出しです。
上のURLで購読できる文面「上」では、沖縄の方の視点から
「我々は日本人として見られてはいないのではないのか?」
という感情が読み取れます。

 これだけ読んでも
「いったい何を言っているのか?」
「被害妄想では?」
「卑下しすぎだろう」
という事を思ってしまいますが、これは飽くまで導入。
重要なのは「下」です。


 「とがる 本土不信」「将来像、《独立》描く学生ら」
という見出しで「下」は始まります。

沖縄から本土に向けた負の意識・感情そして、意識の格差について3面では語られていた。

「本土の認識はどうであれ、沖縄では多くの人が差別と思っている」
「沖縄の人々の闘いは日本人に対しての物でもある」

 正直、驚きました。
いえ、認識が甘かったというべきかもしれません。

基地問題を発端として、沖縄の方がそれほど本土との間に溝を抱えていたとは考えていませんでした。
沖縄の某大学内で行われた「沖縄の将来」について「日本からの独立」という回答がいくつも上がるなんて、余程の事です。

 私は決して、自身が米基地問題について楽観的な考えを持っているとは思っていませんでした。
しかし、それでも「基地は必要なのではないか」と私なりの考えを持っていたのですが・・・。


「犠牲」「人柱」・・・「植民地」

「同じ」日本人でこの様な考えの距離を持つなど想像もしていませんでした。
「加害者は被害者の傷の深さに無自覚だ」とはよく言われることですが・・・私もまた、「考えている」なんて言っておきながら盲いた加害者だったようです。

 

文面は基地移転をあっさり翻した鳩山元首相に関する言及で〆られていました。
しかし、その矛先が向かっていたのは、鳩山元首相ではなく我々本土の国民でした。

「鳩山首相は多くの心の中に在ったものを政策にしたが、日本人は彼を支えなかった」

彼の余りのダメっぷりに、これ以上の仕事を期待できない、
鳩山元首相の辞任は、彼に対する失望と、彼の「基地移転」を含めたマニュフェストを実現するための国民の声なき声だと私は考えていたのですが・・・
沖縄の方にとってはそれが「自分たちを見捨てた」様に映ったのかもしれません・・・。




ここに書かれている事が全ての沖縄の方の総意という訳ではないでしょう。
しかし、新聞社が取り上げるぐらい大きな「声」であるのも事実だと思います。


知らない間に彼らとはこんなにも距離が出来てしまっていたのでしょうか・・・。




 今回の社説もなかなか思う処の多い物です。
「上」を読んだだけではこの文の真を語っているとは言えません、また飽くまで私が書いているのは概要。
詳細な事は書いていないため、興味を持って方は是非「下」も読んでみてください。

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 余談ですが、沖縄の米基地への経済依存度はこれによると5%程だそうです。
以前は15%程度あったようですが、今は驚くほど低くなっているのですね。
しかし、そうはいっても、沖縄は都道府県中で特に景気の悪い県であることは有名です。
幾ら依存度が減ったといったからと言って、それがすぐ「基地の不要」論に直結するものではないと思います。



コメント

通りすがりのゴブナイト
2012年5月11日0:56

はじめまして。
こういった記事を読むたびに私は差別は被差別者の作り出すものであるという考えが頭をよぎります。
我々がどのように考えていたとしても彼らが差別されていると感じている以上差別はなくならないのですね。無意識の差別あたりまで持ち出されれば我々に反論することは難しいです。
一方で私が思うのは、沖縄の人といってもどこに住んでいるかでもちろん意識は違うんだろうなということです。私は福島県民なのですが、私にとっての原発と浜沿いの人にとっての原発はまったく違ったものだと想像できます。県という単位はあくまでも日本の行政区分に過ぎません。沖縄でもそれは同じだと思います。
また、新聞社が取り上げたから大きな声とは限らないとも。むしろ大きな声しか取り上げないなら新聞屋に価値はありませんしね。

しもべの一人、H
2012年5月11日2:32

>通りすがりのゴブナイトさん
コメントありがとうございます。
濃い内容のご意見、読了しました。

>差別は被差別者の~
確かにそれも一つの真理であると思います。必ずしも差別する側の身が差別を作り出しているわけではないのでしょう。「差別」という言葉についつい飲まれがちですが、忘れてはいけない側面ですね。
実際に、私にはそのつもりは全くなかったわけですが、それでも「差別されている」という感情が生み出されているわけですから。

>住居地の違い
これも事実でしょう。
今回の場合も特に被害を受けている場所とそうでない場所は大きく判れていると思います。

ただ、私が取り上げているのは新聞社がどうだ、とか、数がどうだという部分ではなく、そういう現実がある、という事実に衝撃を覚えたからです。
 誰が差別を生むのか、その被害の規模はどうなのか。
もちろんそれらも思案すべき要項なのでしょうが、少なくとも私には、見えていなかった現実がある・痛みがある、その事実が今回私に筆をしたためるに至りました。

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