非MTG)ここ最近の日常/ 読んだ漫画 等・・・
2013年5月1日 日常皆さん、こんばんは。
しもべです。
今回はここ最近の日常の話です。
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この世の中は本当に多様な価値観で溢れているという現実をアルバイトをしてから知りました。
自分の価値観は自分の物でしかなく、常識なんてものは実際には存在しないんだという事を思い知らされました。
(「常識」に定型や普遍的形態なんて無いという意味です。)
以前にも、バイト中の事について少し書きました。
同意して頂ける方もいれば、それはお前がおかしい!という方もおられたと思います。
その事についてはとやかくは無いんです。
そこに良い悪いは無く(明らかに犯罪性のあるものは除く)、ただ、それが多様性なのだろうと思いました。
しかし、どう頭を絞っても理解できないというか賛同出来ないことはありますよね?
先日、家に1切り(1コール)電話がかかってきました。
別にイタズラ電話ぐらいよくあるので特に気にも留めなかったのですが、1分後にまたかかってきました。
その1分後にも、更にその1分後にも・・・。
最初は私もムキになって取っていたのですが、そのうち馬鹿らしくなって放置しました。
すると数分間のコールを最後にその後は静かになりました・・・。
本人は一体どのような意図を持っていたのでしょうかね?
俗に言う「構ってチャン」だったのでしょうか?
何れにしろ、私にはまるで理解の範疇外であり、不快に思うよりも不思議で仕方なかった出来事でした。
世の中には理解できない人が、こんなにも身近に溢れているものなのですね・・・。
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もう少し(夏ぐらい?)で、MTGに復帰できるかもしれません。
昨年のGP名古屋を最後に再びMTGの紙媒体から離れている現状ですが、復帰が待ち遠しいです(^^)
最近は名古屋のLegacyも大分賑わってきました。
平日の夜にMTGを名古屋で出来る(現状は木曜だけですが、ホビステ名駅店が5月から火曜日に主催を検討しているそうです)なんて、[testing]さん主催のC.B.Lが唯一の大会だった頃からは信じられない発展ぶりです。
そのC.B.Lも先日4月末の大会では60名オーバーの規模になったそうで、素直に嬉しいです。10~20人強で開かれていたあの頃が懐かしい。
ただ、運営店舗にはそんなに人を収容できないんですよね・・・。これも嬉しい悲鳴でしょうか?
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最近、週刊ジャンプの「クロス・マネジ」なる漫画を読み始めました。
主に女子ラクロスをする漫画なのですが、表題「スポーツ×青春×恋」通り色々展開しています。
ごちゃごちゃしてて何が書きたいのかよく判らないのですが、要はそのごちゃごちゃしたのを書きたいのかもしれませんね。
人によってはこの混ざり具合が良い、と評価もしますし、また別の人によっては全てが中途半端で薄いとも。私は前者でしたね。
特徴として、キャラクターの心情を表情で表現する事が多く、ここら辺に重きを置いている点が個人的にはヒットしました。
心情背景の扱いですね。
今のジャンプの他の多くのマンガみたいに全てを文章/台詞で表現するのも悪くは無いのですが、そればかりでは飽きますからね。実際の現実では、ちょっとした相手の表情やしぐさに気を使うものですから、より共感できるというか、そういう部分があります。
ただ、その心情を敢えて表現しない方法も、(比較的リアル志向な)イラストのタッチも、そしてスポーツ、加えて題材「ラクロス」も、絶望的なほど今のジャンプに合っていない・・・。特に題材スポーツがマイナーすぎて真剣なゲームであればあるほど何してるのかよく判らない・・・。バレーやバスケットでさえ一般人にはルールが浸透していないのに、こんなマイナースポーツではいはんやおや・・・。
主なジャンプ購買層の中学生や高校生の読者の内、これを面白いと捉える(又は、面白い/詰まらないとわざわざ評価を与える能動性のある)割合が今は如何程に上るのだろうか・・・。
面白いんですが、ジャンプでいつまで連載できるのか・・・。人気アンケートが全てのジャンプでは厳しですね・・・。
因みに、主人公が故障してスポーツを引退したという部分にも勝手に共感を覚えたり・・・。
私自身も小学校の頃からやっていたバスケットを大学2年の終わりの怪我で続行不可能になり、絶望したのを覚えています。
この主人公とは異なり才能も空っきしのヘボプレイヤーでしたが、それでも10年以上、青春をつぎ込んできた物を失ったあの瞬間・・・。そこから再び歩き始めるまでの苦悩は今でも覚えており、また実際にはあれほどの人生の中心には未だに出会えていない現状です。
ですからこの主人公に感情移入してしまうんでしょうね・・・。
まぁ、何かを失う事は世の必然かもしれませんが。
とりあえず、明日2巻発売なので買う予定です。
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[高裁に「バカ」…幼児虐待死の両親、求刑より重い判決に“不満たらたら”]
産経新聞 4月28日(日)18時30分配信
自らに宣告された厳罰を受け入れるつもりはないのだろうか。大阪府寝屋川市で平成22年、三女の瑠奈(るな)ちゃん=当時(1)=に暴行を加え死亡させたとして、両親が傷害致死罪に問われた虐待事件。大阪高裁が4月、両親に懲役15年(求刑懲役10年)を言い渡した1審大阪地裁判決を支持し、両親の控訴を棄却した際、父親は法廷で「ばか」とつぶやき、判決への不満をあらわにした。高裁が踏襲した1審は裁判員裁判で審理されたが、両親の虐待の残虐さに加え、「児童虐待が大きな問題とされている社会情勢も考慮すべき」と指摘。求刑の1・5倍という異例の量刑を選択していた。虐待事件が後を絶たない中、裁判員は「殺人罪より重い」と受け止めたのだ。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130428-00000537-san-soci
こういう事実を見ると、司法の限界が見えますね。
まぁ、記事の内容は、5割引きぐらいで見ておくのが良いのでしょうが。
人が与える罰と本人が背負う罪の違いについて意識せざるを得ません・・・。
謀光市母子殺害事件でも、被告の元少年が友人に出した手紙で「数年ムショで臭い飯を食えばいいだけ」的な文面があったそうですし、幾ら司法の手によって犯した罪に対しての「罰」を与えても、それを本人がまるで受け止めない。受け止める能が無い。
そういう世界である事を思うと本当に空しくなりますね。
まぁ、裁判とは裁く場ではあっても罰する場では無いので、一概に罰が不当とも言えないのですが・・・。
それでも空しくなりますね、失われた者の事を思うと。
本来は時事で扱うネタなのかもしれませんが、少し趣が違うと思ったのでここにて扱わせて頂きました。
さて、こんな日常です。
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