非MTG)価値観や文化の違いは難しいin Sport
2014年11月21日 時事 コメント (4)皆さん、こんばんは。
しもべです。
文化や価値観の違いとは実に難しいものだと思います。
それをここ最近のスポーツ報道を通して感じたのでつらつらと書いてみました。
特に意味がある文章でもなければ、主張をするものでもありません。本当に思った事を書くだけ。
独断と偏見の入り混じった分なので、御見苦しい部分もあるかと思います。お読みになられる方はどうかご容赦を。
先日まで開催していた日米野球で第3戦?にてデッドボールを受け、米国選抜のロビンソン・カノー選手は負傷交代。結果的に骨折が判明し次戦以降の欠場が決定しました。
そのため、暴投をした投手は次の日にカノー選手本人に直接謝罪を行いました。
わざわざ来ていただいたお客さんにけがをさせてしまったのだから日本人としては当然の行動と言えます。
が、これを受け現地米国の報道機関の一つがこの行為に対し「カノーは怒りはしなかったが、なんて無礼な奴なんだ」と言うような記事を載せました。
意味不明な反応なのですが、米国の常識では「故意でない行動の結果は謝罪しない」と言う物が根底にあります(もちろんそれが唯一無二の思考ではありませんが)。野球でも故意でないのならデッドボールでも基本的には謝罪などしない。もし謝罪をするのなら、それは故意に相手にぶつけたものと捉えられてしまうのです
故にこの謝罪も「わざとカノーにぶつけたのか!!」と怒っているわけですね。
日本人にとっては当然のことをしているだけなのに相手には曲解されてしまう訳です。
価値観の違いとは難しいです。
日本人は昔から戦いに置いても「美学」を持っています。
士道に則っているのか、基本的には正々堂々の真っ向勝負を好みます。小手先の技や奇策などが否定されるわけではありませんが、それとは別に盤外の行為を卑怯とし、相手を讃え無礼を嫌います。
悪まで一般論ですが。
これは特に正義感の強い方でなくとも比較的それに準じた行動思想を持つ方が多いと私は思っています。
が、それを思うととくに不思議なのが、サッカーにおける「アウェイの洗礼」。
この言葉が在る事自体が私には大きな違和感なのです(まぁ、サッカーファンにはもはや慣れっこの慣習かもしれませんが)。
日本をホームとする試合の場合は、当然大応援団の見守る試合になります。また審判の笛もホームとアウェイで多少の偏りがある点は事実です。しかし、この「アウェイの洗礼」は声援の有無やホイッスルの多少の偏りに留まりません。よく聞くのはコートがほぼ不整備で芝が剥げていたり伸びすぎていたり石が転がっていたり・・・。他には練習時間の明らかな短縮を狙う措置を取られるなどなど。また、愛郷心が強いのか、中東では観客席から発煙筒が投げ込まれたり最近ではレーザーポインターによる妨害などもあります。しかもチームやその国家がそれを恥じている様子も怒りを覚えている様子も無い。これほどではなくとも欧州のリーグでも相手の貶めるようなチャントが平然と謳われます。笑い話にもなってしまってますが、余りにこの手の行為が横行したためサポーターのゴール裏席数没収で試合を行い、代わりに要請があった地元の子供を無償で招待したところ、その子供たちが全く同じ行為をして相手に野次を飛ばしたという話まで有ります。
数年前にはW杯予選のたしか対イラン戦、日本の敗戦後の香川選手にイランの選手が執拗にユニフォーム交換を迫った後、首を掻っ切るパフォーマンスを見せた事もあります。観客はこれに拍手拍手。
正直理解に苦しみます。
そもそも「無礼」と言う言葉自体が存在しないのではないのかと勘繰るほど。
前述のように日本でも多少の有利不利は尽きますし、一部の熱狂的(笑)サポーターが暴走する事もあります。が、チームや国ぐるみで行為に及んだり、大多数のサポーターがこの手の盤外戦術を行うという事はアングラサイトを探してみても殆んど見る事はありません。(謀国家を除けば)相手からの著しい不正や行為をなじる声もあまり聞かれません。当然です。(私の考えでは)日本人は正々堂々を好み、卑怯を嫌う。この様な行為をすれば他者からの諫言を受け、叱責もされるでしょう。こんな事が発覚すれば組織としても恥と捉えます。在ったとすれば是正をするのが基本方針でしょう。
故にこの手の行為が横行する事は海外に比べ多くはありません。
ただ今触れた様に、「海外」では割とある行為の様です。
つまり日本が独自と言える価値観を持っているのかもしれません。
善い悪いを言うつもりはありませんがやはり文化や価値観の違いは難しい。
そして中には同じ日本でも今一つ理解に苦しむ場面も。
先日、大相撲九州場所にて、横綱鶴竜が豪栄道を立会いの変化を使って下しました。
この勝利に対して、会場からはブーイングの嵐だったようです。
確かに、「横綱らしい」勝利とは言い難いとも言えます。が、別にルール上禁じられているわけでもない。横綱になったらやってはいけないという明文化もされてはいない。にも拘らず大顰蹙(ひんしゅく)です。
もうそんなに言うのなら制度化しろと・・・。暗黙のルールとか言う意味不明な物を作るなと思います。
そもそも江戸時代、横綱は寄り切り以外は邪道とまでされたそうです(たしか・・・)。それに照らし合わせれば今の横綱たちも邪道ではないのかと。その価値観ルールを何とかしてくれと思います。
相撲に関してはここだけでは無く、祖母や母と話していると朝青竜が大嫌いだそうです。
曰く「素行が悪い」「最後の突出しが要らない、大人げない」とか「カメラ目線で勝ち誇るのが嫌見たらしい、勝ち誇るな」などなど。
正直バスケットボールをしてきた私にとっては意味不明理論で謎美意識。
素行うんぬはまぁ当然かもしれませんが、ガッツポーズや雄叫びなんて言語道断だそうです。
じゃあもうそこまで言うのなら明文化しろよ・・・美学と言う通り聞こえの良い言葉で片付けるなと思わずにはいられません。
こんな日本人同士でも理解に苦しむ価値観や文化に合わせるのは海外出身の力士には相当に難しいでしょうね。故に海外出身ながら日本人力士よりも日本人の精神を体現していると言われる白鵬にはファンが多いのかもしれません。
価値観の違いとは難しいものです。
お互いに悪意や害意が無くとも齟齬を生む素地になってしまう事も多々。しかし地域には地域の考えや風習があるのは当然事実。
ですがこのグローバルな時代、互いに風習の異なる存在と接するのなら、不要な衝突を避ける最大限の努力が必要とされているように思います。
不要な諍いが起こるほど不幸は無いでしょう。
なんだかんだ言いながら、矢張り横綱相撲と言われる真っ向勝負や威風堂々としながらも清廉で落ち着いた横綱の理想形の美学はカッコいいものだと思いますね。
P.S.
価値観や美学の違いはそれでも仕方がないと言えるかもしれませんが、日本のスポーツ界における閉鎖性と独自殿様理論はいい加減どうにかしてもらいたいものです。旧態依然は兎も角としても傲岸不遜な様はどうにかして欲しいものです。
個人の好悪が優先されているとしか思えない横綱審議会。任命責任なんてどこ吹く風。
未だFA宣言するだけで裏切り者扱いされる野球界。過去の田沢に対する報復行為には吐き気を覚えました。明らかに人材流出の防止措置を超えた物がありました。
そして私の最も愛するスポーツであるバスケットボールでも、FIBAからの勧告にもかかわらず恥知らずなNBL組織。ついでに無力なJBL。「バスケット人口の増加は迷惑」とまで言ったあの頃から何か改善されているんですかね・・・。まぁ組織形態が異なるbjリーグとの統合はは難しい部分も多いでしょうが、それだけとは思えない。そもそもbjリーグが誕生した経緯が経緯ですからね。
何とかならない物でしょうかね、ほんと・・・。
しもべです。
文化や価値観の違いとは実に難しいものだと思います。
それをここ最近のスポーツ報道を通して感じたのでつらつらと書いてみました。
特に意味がある文章でもなければ、主張をするものでもありません。本当に思った事を書くだけ。
独断と偏見の入り混じった分なので、御見苦しい部分もあるかと思います。お読みになられる方はどうかご容赦を。
先日まで開催していた日米野球で第3戦?にてデッドボールを受け、米国選抜のロビンソン・カノー選手は負傷交代。結果的に骨折が判明し次戦以降の欠場が決定しました。
そのため、暴投をした投手は次の日にカノー選手本人に直接謝罪を行いました。
わざわざ来ていただいたお客さんにけがをさせてしまったのだから日本人としては当然の行動と言えます。
が、これを受け現地米国の報道機関の一つがこの行為に対し「カノーは怒りはしなかったが、なんて無礼な奴なんだ」と言うような記事を載せました。
意味不明な反応なのですが、米国の常識では「故意でない行動の結果は謝罪しない」と言う物が根底にあります(もちろんそれが唯一無二の思考ではありませんが)。野球でも故意でないのならデッドボールでも基本的には謝罪などしない。もし謝罪をするのなら、それは故意に相手にぶつけたものと捉えられてしまうのです
故にこの謝罪も「わざとカノーにぶつけたのか!!」と怒っているわけですね。
日本人にとっては当然のことをしているだけなのに相手には曲解されてしまう訳です。
価値観の違いとは難しいです。
日本人は昔から戦いに置いても「美学」を持っています。
士道に則っているのか、基本的には正々堂々の真っ向勝負を好みます。小手先の技や奇策などが否定されるわけではありませんが、それとは別に盤外の行為を卑怯とし、相手を讃え無礼を嫌います。
悪まで一般論ですが。
これは特に正義感の強い方でなくとも比較的それに準じた行動思想を持つ方が多いと私は思っています。
が、それを思うととくに不思議なのが、サッカーにおける「アウェイの洗礼」。
この言葉が在る事自体が私には大きな違和感なのです(まぁ、サッカーファンにはもはや慣れっこの慣習かもしれませんが)。
日本をホームとする試合の場合は、当然大応援団の見守る試合になります。また審判の笛もホームとアウェイで多少の偏りがある点は事実です。しかし、この「アウェイの洗礼」は声援の有無やホイッスルの多少の偏りに留まりません。よく聞くのはコートがほぼ不整備で芝が剥げていたり伸びすぎていたり石が転がっていたり・・・。他には練習時間の明らかな短縮を狙う措置を取られるなどなど。また、愛郷心が強いのか、中東では観客席から発煙筒が投げ込まれたり最近ではレーザーポインターによる妨害などもあります。しかもチームやその国家がそれを恥じている様子も怒りを覚えている様子も無い。これほどではなくとも欧州のリーグでも相手の貶めるようなチャントが平然と謳われます。笑い話にもなってしまってますが、余りにこの手の行為が横行したためサポーターのゴール裏席数没収で試合を行い、代わりに要請があった地元の子供を無償で招待したところ、その子供たちが全く同じ行為をして相手に野次を飛ばしたという話まで有ります。
数年前にはW杯予選のたしか対イラン戦、日本の敗戦後の香川選手にイランの選手が執拗にユニフォーム交換を迫った後、首を掻っ切るパフォーマンスを見せた事もあります。観客はこれに拍手拍手。
正直理解に苦しみます。
そもそも「無礼」と言う言葉自体が存在しないのではないのかと勘繰るほど。
前述のように日本でも多少の有利不利は尽きますし、一部の熱狂的(笑)サポーターが暴走する事もあります。が、チームや国ぐるみで行為に及んだり、大多数のサポーターがこの手の盤外戦術を行うという事はアングラサイトを探してみても殆んど見る事はありません。(謀国家を除けば)相手からの著しい不正や行為をなじる声もあまり聞かれません。当然です。(私の考えでは)日本人は正々堂々を好み、卑怯を嫌う。この様な行為をすれば他者からの諫言を受け、叱責もされるでしょう。こんな事が発覚すれば組織としても恥と捉えます。在ったとすれば是正をするのが基本方針でしょう。
故にこの手の行為が横行する事は海外に比べ多くはありません。
ただ今触れた様に、「海外」では割とある行為の様です。
つまり日本が独自と言える価値観を持っているのかもしれません。
善い悪いを言うつもりはありませんがやはり文化や価値観の違いは難しい。
そして中には同じ日本でも今一つ理解に苦しむ場面も。
先日、大相撲九州場所にて、横綱鶴竜が豪栄道を立会いの変化を使って下しました。
この勝利に対して、会場からはブーイングの嵐だったようです。
確かに、「横綱らしい」勝利とは言い難いとも言えます。が、別にルール上禁じられているわけでもない。横綱になったらやってはいけないという明文化もされてはいない。にも拘らず大顰蹙(ひんしゅく)です。
もうそんなに言うのなら制度化しろと・・・。暗黙のルールとか言う意味不明な物を作るなと思います。
そもそも江戸時代、横綱は寄り切り以外は邪道とまでされたそうです(たしか・・・)。それに照らし合わせれば今の横綱たちも邪道ではないのかと。その価値観ルールを何とかしてくれと思います。
相撲に関してはここだけでは無く、祖母や母と話していると朝青竜が大嫌いだそうです。
曰く「素行が悪い」「最後の突出しが要らない、大人げない」とか「カメラ目線で勝ち誇るのが嫌見たらしい、勝ち誇るな」などなど。
正直バスケットボールをしてきた私にとっては意味不明理論で謎美意識。
素行うんぬはまぁ当然かもしれませんが、ガッツポーズや雄叫びなんて言語道断だそうです。
じゃあもうそこまで言うのなら明文化しろよ・・・美学と言う通り聞こえの良い言葉で片付けるなと思わずにはいられません。
こんな日本人同士でも理解に苦しむ価値観や文化に合わせるのは海外出身の力士には相当に難しいでしょうね。故に海外出身ながら日本人力士よりも日本人の精神を体現していると言われる白鵬にはファンが多いのかもしれません。
価値観の違いとは難しいものです。
お互いに悪意や害意が無くとも齟齬を生む素地になってしまう事も多々。しかし地域には地域の考えや風習があるのは当然事実。
ですがこのグローバルな時代、互いに風習の異なる存在と接するのなら、不要な衝突を避ける最大限の努力が必要とされているように思います。
不要な諍いが起こるほど不幸は無いでしょう。
なんだかんだ言いながら、矢張り横綱相撲と言われる真っ向勝負や威風堂々としながらも清廉で落ち着いた横綱の理想形の美学はカッコいいものだと思いますね。
P.S.
価値観や美学の違いはそれでも仕方がないと言えるかもしれませんが、日本のスポーツ界における閉鎖性と独自殿様理論はいい加減どうにかしてもらいたいものです。旧態依然は兎も角としても傲岸不遜な様はどうにかして欲しいものです。
個人の好悪が優先されているとしか思えない横綱審議会。任命責任なんてどこ吹く風。
未だFA宣言するだけで裏切り者扱いされる野球界。過去の田沢に対する報復行為には吐き気を覚えました。明らかに人材流出の防止措置を超えた物がありました。
そして私の最も愛するスポーツであるバスケットボールでも、FIBAからの勧告にもかかわらず恥知らずなNBL組織。ついでに無力なJBL。「バスケット人口の増加は迷惑」とまで言ったあの頃から何か改善されているんですかね・・・。まぁ組織形態が異なるbjリーグとの統合はは難しい部分も多いでしょうが、それだけとは思えない。そもそもbjリーグが誕生した経緯が経緯ですからね。
何とかならない物でしょうかね、ほんと・・・。
コメント
概ね同意見なのですが、相撲に関しては一言
前述のとおり日本の文化は正々堂々を美学とします
スポーツであればルール上アリなことで勝つのは正々堂々です
ですが、相撲はスポーツではなく武道です
勝ち方や立ち振る舞いも求められます
スポーツと武道の違いはそこにあると思います
ちなみに柔道は個人的には残念なのですがスポーツになってしまいました
外国人力士が大量に増えたことでスピードのあるスポーツ的な要素が強まってきているためその点が見逃されているのではないかな~と個人的には思っています。
コメントありがとうございます。
成程、武道ですか・・・。その観点は抜けていましたね。立ち居振る舞いはスポーツも同じく求められるとは思いますが、求められる要求の高さは異なるかもしれませんね。
柔道はいまやJODOなので致し方ないです。そもそもルールも日本の柔道とはかなり変わって言っていますし、競技人口でも確か日本は今や世界3~4位程度です。それだけ世界が主流になるのならば致し方ないとも思います・・・。
>アンノーンさん
コメントありがとうございます。
神事ですが、興業でもあるんですよね。何家族的な物が入り込んでいる感じがして、今一つ私はその点を重視する事が出来ません。狭量ですね。神聖なものであるのは判るのですが・・・。
外国人が増加して、相撲も今やかつてのそれとは別物。そもそも日本人の国技に日本人の横綱がいないという異例の事態ももはや普通の状態ですね・・・。
>すらぃりさん
コメントありがとうございます。
相撲は神聖な物であるとは思いますが、俗的な神域を勝手に設けて勘違いをしているのではないのかと思う事もありますね。