非MtG)閃の軌跡を振り返って その壱
2015年7月12日 軌跡/Falcom作
皆さん、こんにちは。しもべです。
久しぶりの空の軌跡をやってみてその良さと悪さを実感したわけですが、そこから閃の軌跡を少し振り返ってみる事にしました。
個人的に何が良くて何が悪かったのか。閃としての特徴を交えて、世間の賛否両論ある部分などに考えを廻らせてみました。
どれだけやるか判りませんが、とりあえず1つ目。
長くなるので悪しからず
・主人公達が学生ということ
------------------------------
:空が遊撃士・聖杯騎士、零・碧が警察官と言う其々年齢に関係なく社会人であったのに対して今作の主人公達は学生です。
これがシリーズにおける今作の最大の特徴でもありますね。
簡単に言えば学園物になるわけですが、今回もう少し広めの視点で考えていきます。
主人公達が学生ということで作品における人物性にどうにも青臭さが多数出ています。
悪く言うのならガキ臭い・乳臭いわけです。
リィンはアイデンティティの無さから他人からの正の感情を理解しにくい。アリサは駄々っ子。ラウラは頭が固い。「マキアス ウザい」で検索がHitした初期のマキアスは自身の憎悪と逆選民思想に陥っている。ユーシスは光の速さで喧嘩を買う忍耐力に無さ。フィーは協調性が無い。エマは自身の立場に悩む。
どれもこれも社会人なら落第評価の幼稚さが本人達に残っています。
人間的にほぼ成熟していて問題ないのは、部族で大人に交じって仕事をしているガイウスを除けば、エリオットぐらいでしょうね。
しかし当たり前の話です。
10代高校生なんて自己意識が肥大化する年頃で自身の意見を他人にぶつけがち。世界観も狭く、故に世間知らずであるため人間として未成熟なのは当然です。成熟段階に向かう段階なのだから。キャラクター造形については寧ろ問題点が有る事をしっかりと表現した事は非常に重要だと思うし、よくやったとも思っています。
そしてその問題点をIで描き互いに意見をぶつけ合ったり、共に困難を乗り越えることで徐々人間的な成長が促されていくと言う演出方法は相応に出来ていたように思います。IIになる頃にはここら辺の個人的な問題は多くが片づけていてより社会的な問題に向き合う様になっているのですから。
(マキアスが革新派の思想に狂った一般人に頭抱えたりとか、そういう自身が成長したからこそ見える違いの演出はもう少しあっても良かったとも思いますが・・・。)
が、なんにせよ、この部分については概ね個人的には加点できると思っています
個人的には、唯一アリサに関してはやや幼稚過ぎてイライラする事も有りましたが、まぁ可愛いのは事実だし、その幼稚さもIIでは随分改善されました。
それでも描かれてしかるべき部分であったと考えています。
ですが、世間の評価は必ずしも高くないようです。
演出面云々で個人的に気に入らないというのも有るのでしょうが、それ以上に学園物が嫌だとかその手の意見もまた在ります。
ではなぜこの部分が批判の対象になるのか?と言うとまぁ、矢張り「醜い」からでしょう。
ハッキリ言って傍から見ていて楽しいものでもないし、癇癪をぶつけられたり(リンクが勝手に切れて)足を引っ張られたりもすれば腹も立ちます。
この傾向は他社作品で申し訳ないのですが、ペルソナ3と4を比較するとよく判ると思います。
3は比較的仲間内での衝突も多く空気が悪い事も多い。特に伊織順平と岳羽ゆかりは批判の対象に挙がりがち。伊織は自己劣等感と承認要求がごちゃ混ぜになっており主人公に当たってくる事も多い。苛立ちからの皮肉や嫌味も目に付きます。ゆかりは境遇からヒステリーをさく裂させる事も多くメンドクサイ。続編であるフェスでも意見の対立に依り全面衝突に陥ります(但しこの内実は前述までの幼稚性とは意味合いが全く異なっていますが)。対して4はこの様なことがありません。3の批判を反映したのか全員が喧嘩や意見対立する事もほとんど無く常にナカヨシ。特に陽介は聖人君子のレベルです。
しかしそんな事が実際に在り得るでしょうか?
実生活の中、仲間内であっても他者の言動にイラつかされることなど大なり小なりあります。喧嘩や意見対立が全く起こらないなんてあり得るのですかね?特に自己意識が肥大化しがちな10代に置いて自分と他人の完全な共存など在り得ざること。
結局、4は非現実的すぎるんです。
見ていて「いつでもナカヨシ、苦しいときは助け合い」はキレイかもしれません。しかし誰もが苦しいときは余裕が無く、他者に当たる様な事が起こったりするのは当然です。その意味で3は非常に現実的で、実に生々しい。各キャラクターが自己意識(自己本位性)を持っているため「人間らしい」のです。
個人的には4のナカヨシコヨシも楽しいし好きになれるキャラクターも多いのですが、3の様な人間味のあるキャラクター達の方が共感を覚えます。キャラ造形の意味でも正確だと思います。
そしてそのペルソナ4の様なキャラ造形をしてきたのがこれまでの空のエステルや零・碧のロイドなわけです。
欠点は合っても人間性的にとことんプラスに振れている様は好感が持てるし可愛いカッコイイ。しかし空虚であるとも感じます。某一繋ぎの秘宝を探す海賊冒険浪漫譚の主人公を見ているようです。底抜けに正の人間には人間味が薄くなってしまう欠点があります。
だからこそ今回の不完全な人間性を「[子供]という正当性」を持たせて表現するのは個人的には非常に好感触でした。そのままでは屑なキャラで終わりますが、其々「成長」しているのだから、そこに好感が持てるというものです。「手の掛る子ほどかわいい」に近い。地が固まるのは雨が降るからです。学園(学生)物としての利点は明確に存在したと感じていますし、カタルシスも有ったと考えています。
綺麗も汚いも有るさ、人間だもの
し も べ
まぁ「なんで娯楽で遊んでいるゲームで汚い物見せ付けられてイライラさせられなくてはいけないのか!」と言う意見も理解できますがねw
「子供の幼稚性」と言う部分は各人との交流において、個々人の言動以外の場面でも多々見られます。例えばノルド高原のアリサとの会話や四章のエリゼの学院訪問時など平然とデバ亀している点が見られます。普通に考えればどう考えてもDQNな行動ですが、青春臭さと子供らしさ・イベント的なおいしさでごまかしていますねw
また緊急に迫られているイベントでダラダラ話し込んでいてピンチになる等。良い意味でも悪い意味でも様々な意味で子供臭い隙の大きな思考は随所に見られます。
これらも「子供の幼稚さ」を表しているわけですね。
「成長」と言う側面はモブキャラにも当てはめる事が出来るため、それぞれにストーリーが有るという軌跡の特徴をより活かす事も出来ていると思います。VII組だけではなく、学院のモブも共に1年を過ごしているのだという事が実感できるし、それを見ていくのが楽しい。
だからこそ濃密な人間性も生まれてきます。
零・碧の拠点を持つことによる地域民への愛着をスポイルする事も出来ていますしね。
まぁその学院生たちも学生故の未熟性もやはり多い。
VII組だけでイラつかされるのに、それが学園中至る所にいればまぁフラストレーションも溜まるww
初期の屑貴族代表パトリック、我が強すぎるフェリスやアランにベッキー。犯罪ですよ?レックス等々・・・問題児も多い。逆に2年はそう言う個人的な問題を乗り越えた成熟した人間が多いのも特徴ですね。
また寮付きの学校と言う一種の閉鎖社会に生きている関係で世間との空気の差が大きい。
内戦・テロ・他国との戦争の危機に、領主からの圧政など逼迫している現実に苦しめられている社会に対して、何処までもノホホンとしている学園内の空気があるため、演習から帰ってくるとどうにもその空気になじめない。これもある意味上手く表せているのですが・・・。
これらも社会人の視点とは異なる、子供の視点として物語が見られるのも新鮮ですね。
結局この「子供の青臭さ・幼稚さ」を在るべき物として内包して見ることができるかどうかで評価が変わってくるのだと思います。個人的にはそう言う部分まで含めて「青春」なんだと考えています。
逆にそれが出来ないと只々幼稚な思考や言動にストレスを感じるでしょう。
個人的にはこれは作品としての特徴づけやキャラクター造形と言う点で明確な評価点に入れたいような部分なのですがね・・・。
また「子供の幼稚性」は人間性以外の部分でも表現されていましたね。
良くも悪くも活動の範囲・扱われる範囲が学生の域を出ていないという部分もあります
基本となる各地を巡る行動も、空が旅・零が出張と言った形に対して、閃は現地学習と言う側面が強い。拠点となる学校から各地に出向き、その場で自分たちの知らない現実を学んでいくと言った趣です。現地の問題を解決するのが目的の前者たちとは異なっているわけです。同じような事をしていてもリィン達は悪まで「お勉強」の範疇。
閃IIの内乱時でも空や碧の様な主体的に国家の行く末に関わるのではなく、第三軍として軍には出来ないが自分たちにできる事をすると言う立場に立っています。
悪まで自分たちは学生であり、国家の行く末に関わる立場ではないという事ですね。
問題なのは第3軍wwwwwwなシナリオと演出ですが。
狙い自体はこれまでとは異なっているわけですね。
そして最後まで行っても執行者に太刀打ち出来ないリィン達。
後日談でも学園最強を決める云々。対して大人組や親等は明らかに一段上回る戦闘力や能力を持っています。
最後の最後まで行ってもリィン達はまだ学生の域を出ないという事でしょうね。
これが良いか悪いかは別ですが、エステルで言うところの準遊撃士なのでしょう。今回で学生編が終わりと言う事なら、IIIからはまた別の扱いになるのでしょうね。
と言う事で、閃の軌跡は学園物として作られましたが、その本質は甘酸っぱい青春を描くためのと言うだけでなく、これまでの軌跡の主人公達とは明確に異なる立場・人間性を表現するための物であったように思います。
その意味で振り返ってみるとシリーズ作品としては異色ですが、新鮮でもありました。そして単一の作品としても、子供の未熟と成長をある程度表現できており、この方向性は良かったと思います。
ただ、成長の過程に置いてストレスが溜まるので一定の反発が有るのは致し方ないですね。
残念なことですが。
それ以上に残念なのは主に閃IIにおける学生の限界を外的な事実として表現していた際の表現方法ですがね。ここはもうひたすら不満が溜まる要素でカタルシスなんて欠片も無い。2作品掛けてやる事か?と。
もう少しうまく演出する事が出来たのではないかと思うのですがね・・・。
批判されるもう一つ理由があるとすれば、その人間的な成長を実感しづらいというのも有るでしょうね。
作品として、各章で問題を解決し成長し、各人とも仲を深めていくわけですが、それが次の章ではバラバラのパーティ編成になるため、和解した面子の交流が理解しづらいのですよね。それがメインにおける各人の交流の少なさに繋がっているのだと思います。基本的には1月ごとの実地研修以外の学院生活の中でこの交流が存在するのでしょうが、自由行動時に2人組みで他愛もない会話をしているぐらいでゲームとしては描かれない為理解が出来ません。
そして本来この様な合間の側面を補う筈だったサブイベントは、絆イベントととしてリィン専用になってしまいました。
「仲良くなった」で終わってしまっているわけですね・・・。
ゆえにその後の部分である成長後の描写の一側面が足りていないわけです。
補完描写の不足。
ここは明確な欠点ですね。
ここ等辺の部分を上手く補完する事が出来ていれば・・・と思わずにはいられませんね。
それでも不足はあっても良い部分だったと個人的には思うのです。
久しぶりの空の軌跡をやってみてその良さと悪さを実感したわけですが、そこから閃の軌跡を少し振り返ってみる事にしました。
個人的に何が良くて何が悪かったのか。閃としての特徴を交えて、世間の賛否両論ある部分などに考えを廻らせてみました。
どれだけやるか判りませんが、とりあえず1つ目。
長くなるので悪しからず
・主人公達が学生ということ
------------------------------
:空が遊撃士・聖杯騎士、零・碧が警察官と言う其々年齢に関係なく社会人であったのに対して今作の主人公達は学生です。
これがシリーズにおける今作の最大の特徴でもありますね。
簡単に言えば学園物になるわけですが、今回もう少し広めの視点で考えていきます。
主人公達が学生ということで作品における人物性にどうにも青臭さが多数出ています。
悪く言うのならガキ臭い・乳臭いわけです。
リィンはアイデンティティの無さから他人からの正の感情を理解しにくい。アリサは駄々っ子。ラウラは頭が固い。「マキアス ウザい」で検索がHitした初期のマキアスは自身の憎悪と逆選民思想に陥っている。ユーシスは光の速さで喧嘩を買う忍耐力に無さ。フィーは協調性が無い。エマは自身の立場に悩む。
どれもこれも社会人なら落第評価の幼稚さが本人達に残っています。
人間的にほぼ成熟していて問題ないのは、部族で大人に交じって仕事をしているガイウスを除けば、エリオットぐらいでしょうね。
しかし当たり前の話です。
10代高校生なんて自己意識が肥大化する年頃で自身の意見を他人にぶつけがち。世界観も狭く、故に世間知らずであるため人間として未成熟なのは当然です。成熟段階に向かう段階なのだから。キャラクター造形については寧ろ問題点が有る事をしっかりと表現した事は非常に重要だと思うし、よくやったとも思っています。
そしてその問題点をIで描き互いに意見をぶつけ合ったり、共に困難を乗り越えることで徐々人間的な成長が促されていくと言う演出方法は相応に出来ていたように思います。IIになる頃にはここら辺の個人的な問題は多くが片づけていてより社会的な問題に向き合う様になっているのですから。
(マキアスが革新派の思想に狂った一般人に頭抱えたりとか、そういう自身が成長したからこそ見える違いの演出はもう少しあっても良かったとも思いますが・・・。)
が、なんにせよ、この部分については概ね個人的には加点できると思っています
個人的には、唯一アリサに関してはやや幼稚過ぎてイライラする事も有りましたが、まぁ可愛いのは事実だし、その幼稚さもIIでは随分改善されました。
それでも描かれてしかるべき部分であったと考えています。
ですが、世間の評価は必ずしも高くないようです。
演出面云々で個人的に気に入らないというのも有るのでしょうが、それ以上に学園物が嫌だとかその手の意見もまた在ります。
ではなぜこの部分が批判の対象になるのか?と言うとまぁ、矢張り「醜い」からでしょう。
ハッキリ言って傍から見ていて楽しいものでもないし、癇癪をぶつけられたり(リンクが勝手に切れて)足を引っ張られたりもすれば腹も立ちます。
この傾向は他社作品で申し訳ないのですが、ペルソナ3と4を比較するとよく判ると思います。
3は比較的仲間内での衝突も多く空気が悪い事も多い。特に伊織順平と岳羽ゆかりは批判の対象に挙がりがち。伊織は自己劣等感と承認要求がごちゃ混ぜになっており主人公に当たってくる事も多い。苛立ちからの皮肉や嫌味も目に付きます。ゆかりは境遇からヒステリーをさく裂させる事も多くメンドクサイ。続編であるフェスでも意見の対立に依り全面衝突に陥ります(但しこの内実は前述までの幼稚性とは意味合いが全く異なっていますが)。対して4はこの様なことがありません。3の批判を反映したのか全員が喧嘩や意見対立する事もほとんど無く常にナカヨシ。特に陽介は聖人君子のレベルです。
しかしそんな事が実際に在り得るでしょうか?
実生活の中、仲間内であっても他者の言動にイラつかされることなど大なり小なりあります。喧嘩や意見対立が全く起こらないなんてあり得るのですかね?特に自己意識が肥大化しがちな10代に置いて自分と他人の完全な共存など在り得ざること。
結局、4は非現実的すぎるんです。
見ていて「いつでもナカヨシ、苦しいときは助け合い」はキレイかもしれません。しかし誰もが苦しいときは余裕が無く、他者に当たる様な事が起こったりするのは当然です。その意味で3は非常に現実的で、実に生々しい。各キャラクターが自己意識(自己本位性)を持っているため「人間らしい」のです。
個人的には4のナカヨシコヨシも楽しいし好きになれるキャラクターも多いのですが、3の様な人間味のあるキャラクター達の方が共感を覚えます。キャラ造形の意味でも正確だと思います。
そしてそのペルソナ4の様なキャラ造形をしてきたのがこれまでの空のエステルや零・碧のロイドなわけです。
欠点は合っても人間性的にとことんプラスに振れている様は好感が持てるし可愛いカッコイイ。しかし空虚であるとも感じます。某一繋ぎの秘宝を探す海賊冒険浪漫譚の主人公を見ているようです。底抜けに正の人間には人間味が薄くなってしまう欠点があります。
だからこそ今回の不完全な人間性を「[子供]という正当性」を持たせて表現するのは個人的には非常に好感触でした。そのままでは屑なキャラで終わりますが、其々「成長」しているのだから、そこに好感が持てるというものです。「手の掛る子ほどかわいい」に近い。地が固まるのは雨が降るからです。学園(学生)物としての利点は明確に存在したと感じていますし、カタルシスも有ったと考えています。
綺麗も汚いも有るさ、人間だもの
し も べ
まぁ「なんで娯楽で遊んでいるゲームで汚い物見せ付けられてイライラさせられなくてはいけないのか!」と言う意見も理解できますがねw
「子供の幼稚性」と言う部分は各人との交流において、個々人の言動以外の場面でも多々見られます。例えばノルド高原のアリサとの会話や四章のエリゼの学院訪問時など平然とデバ亀している点が見られます。普通に考えればどう考えてもDQNな行動ですが、青春臭さと子供らしさ・イベント的なおいしさでごまかしていますねw
また緊急に迫られているイベントでダラダラ話し込んでいてピンチになる等。良い意味でも悪い意味でも様々な意味で子供臭い隙の大きな思考は随所に見られます。
これらも「子供の幼稚さ」を表しているわけですね。
「成長」と言う側面はモブキャラにも当てはめる事が出来るため、それぞれにストーリーが有るという軌跡の特徴をより活かす事も出来ていると思います。VII組だけではなく、学院のモブも共に1年を過ごしているのだという事が実感できるし、それを見ていくのが楽しい。
だからこそ濃密な人間性も生まれてきます。
零・碧の拠点を持つことによる地域民への愛着をスポイルする事も出来ていますしね。
まぁその学院生たちも学生故の未熟性もやはり多い。
VII組だけでイラつかされるのに、それが学園中至る所にいればまぁフラストレーションも溜まるww
初期の屑貴族代表パトリック、我が強すぎるフェリスやアランにベッキー。犯罪ですよ?レックス等々・・・問題児も多い。逆に2年はそう言う個人的な問題を乗り越えた成熟した人間が多いのも特徴ですね。
また寮付きの学校と言う一種の閉鎖社会に生きている関係で世間との空気の差が大きい。
内戦・テロ・他国との戦争の危機に、領主からの圧政など逼迫している現実に苦しめられている社会に対して、何処までもノホホンとしている学園内の空気があるため、演習から帰ってくるとどうにもその空気になじめない。これもある意味上手く表せているのですが・・・。
これらも社会人の視点とは異なる、子供の視点として物語が見られるのも新鮮ですね。
結局この「子供の青臭さ・幼稚さ」を在るべき物として内包して見ることができるかどうかで評価が変わってくるのだと思います。個人的にはそう言う部分まで含めて「青春」なんだと考えています。
逆にそれが出来ないと只々幼稚な思考や言動にストレスを感じるでしょう。
個人的にはこれは作品としての特徴づけやキャラクター造形と言う点で明確な評価点に入れたいような部分なのですがね・・・。
また「子供の幼稚性」は人間性以外の部分でも表現されていましたね。
良くも悪くも活動の範囲・扱われる範囲が学生の域を出ていないという部分もあります
基本となる各地を巡る行動も、空が旅・零が出張と言った形に対して、閃は現地学習と言う側面が強い。拠点となる学校から各地に出向き、その場で自分たちの知らない現実を学んでいくと言った趣です。現地の問題を解決するのが目的の前者たちとは異なっているわけです。同じような事をしていてもリィン達は悪まで「お勉強」の範疇。
閃IIの内乱時でも空や碧の様な主体的に国家の行く末に関わるのではなく、第三軍として軍には出来ないが自分たちにできる事をすると言う立場に立っています。
悪まで自分たちは学生であり、国家の行く末に関わる立場ではないという事ですね。
問題なのは第3軍wwwwwwなシナリオと演出ですが。
狙い自体はこれまでとは異なっているわけですね。
そして最後まで行っても執行者に太刀打ち出来ないリィン達。
後日談でも学園最強を決める云々。対して大人組や親等は明らかに一段上回る戦闘力や能力を持っています。
最後の最後まで行ってもリィン達はまだ学生の域を出ないという事でしょうね。
これが良いか悪いかは別ですが、エステルで言うところの準遊撃士なのでしょう。今回で学生編が終わりと言う事なら、IIIからはまた別の扱いになるのでしょうね。
と言う事で、閃の軌跡は学園物として作られましたが、その本質は甘酸っぱい青春を描くためのと言うだけでなく、これまでの軌跡の主人公達とは明確に異なる立場・人間性を表現するための物であったように思います。
その意味で振り返ってみるとシリーズ作品としては異色ですが、新鮮でもありました。そして単一の作品としても、子供の未熟と成長をある程度表現できており、この方向性は良かったと思います。
ただ、成長の過程に置いてストレスが溜まるので一定の反発が有るのは致し方ないですね。
残念なことですが。
それ以上に残念なのは主に閃IIにおける学生の限界を外的な事実として表現していた際の表現方法ですがね。ここはもうひたすら不満が溜まる要素でカタルシスなんて欠片も無い。2作品掛けてやる事か?と。
もう少しうまく演出する事が出来たのではないかと思うのですがね・・・。
批判されるもう一つ理由があるとすれば、その人間的な成長を実感しづらいというのも有るでしょうね。
作品として、各章で問題を解決し成長し、各人とも仲を深めていくわけですが、それが次の章ではバラバラのパーティ編成になるため、和解した面子の交流が理解しづらいのですよね。それがメインにおける各人の交流の少なさに繋がっているのだと思います。基本的には1月ごとの実地研修以外の学院生活の中でこの交流が存在するのでしょうが、自由行動時に2人組みで他愛もない会話をしているぐらいでゲームとしては描かれない為理解が出来ません。
そして本来この様な合間の側面を補う筈だったサブイベントは、絆イベントととしてリィン専用になってしまいました。
「仲良くなった」で終わってしまっているわけですね・・・。
ゆえにその後の部分である成長後の描写の一側面が足りていないわけです。
補完描写の不足。
ここは明確な欠点ですね。
ここ等辺の部分を上手く補完する事が出来ていれば・・・と思わずにはいられませんね。
それでも不足はあっても良い部分だったと個人的には思うのです。
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